本日は、オレンジハウス
放課後等デイサービス営業日でした。
療育という言葉の起源
さて「療育」という言葉の源流をたどり
我々取材班はついにヨーロッパに到着…
してませんがそんな気分で
今日のお話を始めます。
私はその言葉の起源を求めて、
ドイツ治療教育学の歴史研究−治療教育学理論の狭義化と補助教育学の体系化−
岡田英己子(1993)勁草書房
に目を通してみました。
なんでかっていうと、
ものの本には、
「療育」を初めて提唱したのは
ゲオルゲンス(ドイツ)。以上。終わり。
ってなってるから。
そして、それって誰で
どんなことをしたの?ってググっても
ウィキペディアをはじめドイツ語資料しかない。
ドイツ語読めない。
で、こちらの本は、そのことについて書いてあるらしい
唯一探すことができた日本語の本なのです。
で、何が書いてあったかというと。
※その前に注意事項です。これから書く文章には、現在は使われていない差別用語が一部含まれています。ですが、障害にかかわる歴史研究では、過去の正確な表現をもとに事実を述べたり、考察を行う必要があるため、それらの差別用語を使う必要があります。ですから私も引用文の中で原著に記されていたそれらの用語を、そのまま使用します。決して誰かを不快な思いにさせる意図で使っているわけではないことをご理解ください。
岡田によるドイツ治療教育学の概要(の私の理解)
- 治療教育学(Heilpädagogik)の用語は、1861年ゲオルゲンス(Georgens, J.D.)・ダインハルト(Deinhardt, H.M.)の『治療教育学−特に白痴と白痴施設を考慮して』という本で初めて使われた。(p.7)
- ドイツ語圏障害児教育・福祉界で、他の類似概念と比べて最も頻繁に使用されている語である。(p.7)
- その言葉があまりにたくさんの意味を持つため、神学/医学/心理学/教育の様々な領域に関連して”概念の錯綜”ともいえる混乱が起き、約100年論争が繰り返されてきた。(p.10)
- どうしてそんな混乱が起きたかというと、その言葉が教育・社会政策の変化と密接に関わり、さらに学術団体や職業団体の利害関係も影響してきたから。(p.421)
- 自分たちの利益のために正当性を主張する人々の働きによって、障害を持つ子どもたちの利益が損なわれる事態が起きた。それは負の遺産とも言えるものだ。(p.505)
- 現在においても、自分たちの利益を守るために学問を名乗り、利用すること、学問とも呼べないものを偽る行為は無くなっていない。(p.505)
腑に落ちる、悲しいけど
岡田氏の主張を理解して、
もうわたしびっくりして。
見てたんですかって聞きたい。
今起きてることそのまま。
っていうかそもそものはじまりからして、
療育(治療教育学)っていう言葉は
すでに発祥の地ドイツでいいだけ混乱していて
そのあとに日本に来たわけですね。
ガッテンガッテンガッテン。
もやっとするのはしかたない。
療育という言葉にまつわる
霧のようなものの正体が
はっきりしました。
療育っていう言葉は、
そのときの政治の都合や
利益を守りたい団体によって
いくらでも都合のいいように
使われてしまう言葉。
なんかそれってどうなんかな。
っていう小さなモヤモヤを
「いいえそんなことありません」
「私たちは正しいなぜなら」
っていうときに使われやすい言葉。
そういう言葉を、子どものためと謳い
利益を追求する事業者が多用して、
玉石混合入り乱れる時代に何が起きるか。
岡田氏の意見、腑に落ちる。
そして、切ない。悲しい。
って言っているのは
絶賛利益追求中の民間事業者代表わたし。
「療育」ではなく「支援」という
言葉を使っているのは、
専門的な療育よりも、
居場所づくりや預かりを含めた
日常の支援を重視しているから、
という説明をどこかで聞いたのですが
もしかしてもしかすると
療育という言葉にまつわる
こういった歴史的背景までを
考慮した結果なのでしょうか。
自分たちが掲げる理念は、
変えるつもりはないけれど、
この学びを通して、療育という言葉の重みは
わたしの中で増したように思います。
はー、
いっぱい書いてちょっと疲れました。
こんなところまで飽きずに目を通してくださった方、
ありがとうございます。
全然疲れてないよ!
岡田氏のドイツ治療教育学について
もっと読みたい♡
って方、万が一おられましたら
引用・参考にした部分の抜き書きが
下のほうにございますので、ご覧ください。
この暑さで体調を崩されている方も多いようです。
どうぞみなさまご自愛ください。
本日もオレンジハウスをご利用くださり、
本当にありがとうございました。
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児童デイサービス コビトハウス・オレンジハウス
合同会社コビトランド
岩見沢市一条東16丁目10 電話 0126-38-4192
☆こぐま教室・こりす教室
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引用・参考にした部分一覧
治療教育学(Heilpädagogik)の用語は、1861年ゲオルゲンス(Georgens, J.D.)・ダインハルト(Deinhardt, H.M.)の『治療教育学−特に白痴と白痴施設を考慮して』に始めて記されて以来、ドイツ語圏障害児教育・福祉界で、他の類似概念と比べて最も頻繁に使用されている語である。が、その定義や対象となると歴史的に混同して用いられてきた伝統から、今もなお一致点が見いだしにくい。(p.7)
学説整理に陥る危険性が高いのは、ドイツ治療教育学の概念規定が多義的解釈を許す要素を多分に含んでいるからである。Heilpädagogikの接頭語ともいえるHeilは、医学的な「治療」「治癒」の意に解される反面、神学概念としての「救済」「恩寵」という意味も合わせ持っている。「治療教育学は本来教育学なのか。あるいは医学に近いものなのか」「心理学とは如何なる関連を持つのか」「また障害児教育の原点ともいうべき神学に、治療教育学の学的枠組みは依拠するべきなのか」等々の論議は、今世紀初頭から繰り返されていることでもある。(p.10)
本研究では(中略)概念の多義性が出てきた理由とその発生経路を辿ることによって、概念の錯綜がどのようにして生じてくるのかを明らかにしていきたい。(p.10)
同じドイツ語圏でも東西ドイツ・オーストリア・スイスによって、一般に普及している治療教育学観に相違がある。こうした治療教育学の概念の混同は何によって生じたのであろうか。その理由を一口で言うならば、今日の治療教育学が、世紀転換期の障害児施設から学校への理論形成の主導権の転換と密接に関わって登場しており(中略)、各国の教育・社会事業政策に規定されがちであったからと位置づけられる。政策形成に際してのドイツ・スイス・オーストリアの歴史的・社会的条件の独自性・相違が、治療教育学に反映しているのである。それにもかかわらずこれまでの治療教育学理論研究は、ただ各論者の治療教育学文献だけを時代順に分析し、概念整理に重点を置くという安易な研究方法に終始してきた。これが、あたかも教育学・医学・心理学・神学のモザイク構成であるかの如き錯覚を、治療教育学に長年与え続けてきた一因となっている。実際には各国の政策に規定されて治療教育学は一定の研究系譜を形成し、さらに大学や教員団体の研究目的や利害との関わりで、様々な理論解釈が生じていたにもかかわらず、である。(p.421)
補助学校連盟の頑迷なまでの学校拡大策の運動方針の固持が、適切な時期での障害児教育・福祉改革の実施を妨害しただけでなく、精神薄弱理論に依拠して障害者問題の認識を曖昧にする煙幕としての機能を保持し続けたということ、これが本研究の骨子である。従来の教育史研究の常套の手法とは異なり、「負の教育的遺産」に視点を定めたこの論文の執筆に当たって、筆者は絶えず自問自答を繰り返していた。過去の教育革新のイメージを不当に歪めて伝えているのではなかろうか、その運動・人物・著作に対する分析視点は一面的にすぎるのではないか、現代学校問題の関心に引き寄せて過去の事象を判定しすぎているのではないか、等々である。しかし、本書の刊行が具体化するまでの1カ年半余りの間、改めてこうした歴史研究方法の必要性を確認するに至った。一つには、運動側の手による「正義」の論理の貫徹は、ある種の循環論法的な連続性をもっているということである。その極端な例は、ナチ・ドイツの断種・安楽死計画への加担と戦後の自己正当化であり、旧東ドイツでの教育・社会政策のイデオロギー過剰現象であろう。(p.505)
こうした危険性は、時空を越えて、現代社会においても一貫して存在している。しかるべき地位確保のために、あるいは組織維持・拡大のために、都合の良いように「学」を構築ないしは支持し、あまつさえ「学」に値しなくなった理論を、自らの実践の場で守護する傾向は、消失してはいない。(p.505)